全国都道府県議会議長会

福島県復興に向けて着実に

議長写真
令和4年9月
福島県議会議長

渡辺 義信




 令和3年10月に、福島県議会第75代議長に就任した渡辺義信です。

 福島県議会は、全国で最も早く、帝国議会開設よりも12年早い明治11年に県会として開設され144年の歴史を積み重ねてきました。日本の議会制度の黎明期をけん引されてきた我が県先人の覚悟を想像すると、あらためて職責の重さに身の引き締まる思いです。

 現在までの十余年、福島県は、東日本大震災と原発事故からの復興の途上という、特殊な環境の中にあります。特に原発事故からの復興については、未だ人類が経験したことのない大きな壁に立ち向かっている真最中です。国内外からの多くのご支援を頂きながら復興に取り組めておりますことに対して、あらためてお礼を申し上げます。

 私は「復興」という言葉について、単に被災前の状態に戻るということではなく、産業の面でも文化の面でも、被災前よりも魅力が向上している状態とイメージしています。いわゆる創造的復興、「ビルド・バック・ベター」の考え方であります。天・地・人を十分に活かして産業を結集し環境を整え、県内の魅力的資産を掘り起こし磨き上げ、福島県に「地方創生」のひとつの形を創り上げたいと考えております。そして、その復興を成し遂げた福島県の姿を全国の皆様にひとつの参考としていただき、様々な形で波及し、全国に「地方創生」の輪が拡がっていくことが、我が県復興のために頂いた多くのご支援に対する恩返しだと考えております。

 東京オリンピック・パラリンピックでは、全競技のスタートとなったソフトボールの最初の試合が、福島市の「あづま球場」で行なわれ、プレーからの感動と共にアメリカとオーストラリアの監督から「福島の桃、デリシャス!」との嬉しい情報発信も飛び出し、原発事故に由来する福島県産農産物の風評払拭にも一役買っていただきました。

 今年の高校野球夏の甲子園大会では、真紅の優勝旗が、私の地元でもある「白河の関」を初めて越え、「東北の玄関口の福島県」として元気を頂いたところでもあります。

 復興道半ばの福島県ではありますが、喫緊の課題であります、原油価格・物価高騰等対策、新型コロナウイルス対策、我が県に毎年の様に頻発する自然災害対策等に、また、中長期までを見据えた福島県の復興政策実現のために、議会として、鳥の目・虫の目・魚の目を大切に多角的な視野を持って、二元代表制の一翼の役割をしっかりと果たしてまいります。引き続き、各都道府県議会、全国都道府県議会議長会の皆様からのご支援、ご協力をお願い申し上げます。

福島県議会議長
渡辺 義信(わたなべ よしのぶ)

プロフィール

生年月日

昭和37年12月22日

主な議員歴

平成15年4月〜
福島県議会議員(現在5期目)
企画環境常任委員会、農林水産常任委員会、総務常任委員会、総括審査会の各委員長を歴任
令和3年10月
第75代福島県議会議長に就任